5月22日の日記

2007年5月22日
音楽を聴いてるだけで幸せな事もある。競馬の事を考えてるだけで満足なときもある。
逆に、そんなのが頭に入ってこないくらい不安なときもある。最近は無いけど。

何のために、が問題だ。何やっても最後に死ぬなら、死ぬために、が理由になってしまう。輪廻転生を信じられるならそれでもいいけど。
無になると思う俺は、なんのためにここでこうしてんのかわからなくなる。

しかしそう考えると、そのためじゃないだろう、ていうのもみえてくる。虚勢張って生きてても仕方ないし、人から賞賛されるためなんてのもしょうもない。逆にホントに周り中から軽蔑されるなんてのもダメだ。

哲人(哲学者だけでなく、なんか色々考えてそうな人たち)の残した名言ていうのは、程度や方向に差はあるけれど、大体それぞれ「究極」だと思う。なんというか、突き詰めていって最終的に達したもの、あるいは削って省いていって最後に残ったもの、って感じ。本当に大事だとその人が思ったもの。

「自分がそのために生き、そのために死にたいと思うような真理を発見する事が云々〜」と言うような事をキルケゴールが言ったそうです。キルケゴールが何をした人なのか知らないけど。俺も今これ。

しかし、こういうのを全部得体の知れない何かのせいにできると、ホントに楽だろうなと思う。神とか運命とか。特に運命なんかは、「人間に果たして自由意志なんてあるのか?」なんて事を考えるとアリかもと思うけど、でもそれで終らせちゃったんじゃつまらないし、なんか癪だしなあ。うん、癪だし、それに、ビッグバンから地球誕生とかそういうのは運命でもいいかもしれないけど、今の俺の部屋で散らばってる全てのものの配置も運命で宇宙が始まったときから決まってましたなんてのはバカバカしい。だって全てが運命なら、使い終わったティッシュの丸まり具合も宇宙が始まったときから寸分違わず決まってたって事になる。

一見考えを放棄してるみたいだけど、「死ぬまでの暇つぶし」はいい線いってる気がする。なんか肩の力も抜けるし、俺みたいなすぐ周りが見えなくなるような奴にはこれくらいがいいのかもしれない。しかし、生とか死とか大きく考えればいい線だけど、日常的な話にするととたんに説得力がなくなる。暇つぶし気分でやっていけるほど、毎日は単純じゃない。

そうだ、そう考えると、最後に結局無になる(と俺は思う)としても、俺には失いたくないものがいっぱいある。それを守るためってのはどうだろう。うーん、でも、音楽とか競馬とか守る必要ねーな。友達も、俺よりよっぽど楽しく生きてるような気がする。それぞれ色々あると思うけど。少なくとも俺が守るためにすべき特別な事はない。普通に接してそれで楽しければいい。

でも、食と安全は守る必要がある。テレビが見れなくなったら競馬見れないってのもある。

いつか死ぬ、というのは、なかなか厄介な宿命だと俺は思うんだけどなあ。頑張ったところで無意味、かといって何もかも投げ出せるほど、生きる重要度というか価値は低くない。ていうことは、何もしたい事がないのなら、肩の力抜いて生きればいいって事か。

じゃあ肩の力抜いて生きようか、って結論しようとしても、それもなんかちがう。たぶん競馬と音楽と友達とあとまぁマンガとかネットとか色々だけじゃ、物足りないんだ。たぶん、友達以外すべて受動的だから物足りないんだと思う。

じゃあそうだ、過去から学ぶってのはどうだ。過去に後悔した事とか、そういうところからやりたいことをはじき出す。賢人は失敗から学ぶ。過去の失敗といえば、真っ先に恋愛が浮かぶ。勿論、誰かを好きになった時点で過去の失敗を生かす、という事はできるけど、しかし人を愛すなんてのは次に生かすどころか努力でどうこうなる問題じゃない。ある程度は努力できるにしても、決定的な部分は俺の意志ではどうにもならない。

他に後悔してる事といえば・・部活の最後の試合とか部活全般だけどこれも生かしようがない。受験勉強は・・アレは今戻ってもやらないだろう。ひきこもり生活は・・わざわざ持ち出さなくてももう繰り返さない。後、大学とかコンビニバイトとかは、後悔というより単に嫌な思い出だし。いや、というか、もっとメンタル的な部分で考えなきゃダメだ。

部活は、なんていうか、うーん、もっと本気で真剣にガッついて練習してれば良かった、と思う。「これは限られた貴重な時間である」という認識が足りなかった。うん、これは使えそうだ。受験勉強は、逃げた部分だ。つまらなくて成果の見え難い努力と、目に見える結果が怖くて逃げた。これもなかなか学ぶところがある。ひきこもり生活は、これも逃げたんだけど、学ぶ学ばない以前の問題だな。コンビニバイト時代はどうしようもない。大学は、知らない人でもちゃんと接しましょう、みたいな感じか。これ、俺の知らない人恐怖症って、Gさんが取り上げてて気づいたけど、小学校時代にハブられたのもそうだけど、「知らない人は怖い人」って刷り込まれたのも原因だと思うんだよなあ。高学年になるまで帰り道がものすっごい怖かった覚えがある。ビクビクしながら泣きそうになりながら帰ってた。一回いつもどおりビクビクしながら帰ってたら近くで車が停まって、サングラスかけた男に「小学校はどこにあるか」って尋ねられて、突っ走って近くの畑で農作業してたオッサン(まぁこれも知らないオッサンだけど)に助けを求めたことがある。なんつーか「車から小学生に道を尋ねる」なんてのはグラサンに何のやましいことがなくても、バカな行為だと思う。配慮に欠けるというか、俺なら車から小学生に道を尋ねるなんて絶対にしない。っていうかなんか、普通そんなことしないよね?あれ、そう考えるとやっぱあの日のグラサンは悪いヤツだったのかも・・。実際、我が近所ではいわゆる「変態」がたくさん出た。俺は出会わなかったけど、下半身を露出してくるオッサンに出会ったクラスメイトは多い。

というかそもそも子供に限らず、「知らない人はみんな敵、知ってる人も信頼はしても信用してはいけない」ていうのは鉄則だと思う。自分とか、まぁ自分だけなら自己責任だけど、大切な人を守ろうと思ったら自然とそうなると思う。だって人間なんて何するかわかんない。「俺は真っ当な感覚の持ち主だ」なんて思ってるヤツだって絶望や怒りで変わる。戦争や映画「CUBE」「ES」のように、状況でも変わる。

公園の遊具と人間は違う。

ていうかそもそも、知らないオッサンに挨拶するメリットなんて、仮に危険がゼロだったとしても別にない。オッサンから何を学ぶというのか。知り合いを増やして地域の目で守るって、知り合いになったオッサンが登下校時に目を離さず守ってくれるとかそういうこと?俺が泣きついた農作業してた知らないオッサンはちゃんと守ってくれた。俺の通学路には全く人気の無いところがあった。そんな通学路のどこに地域の目があるというのか。

昔がどんなものだったか知らないけれど、時代は変わる。車の無い時代に交通事故の心配をする必要はなかったかもしれない。しかし今、交通事故の可能性があるのだから気をつけるのは当たり前だ。「青信号でしか道路を渡れないなんてかわいそう!」なんて事は誰も思わない。

・・・と、数々の大量殺人者やら異常殺人者やらなんやらについて読んできた俺は思う。

仮にそういう教育が原因で人付き合いに難がある人間に育ったとしても、そのときにはもう子供じゃないんだから。自分の状態を認識し、自分を変える必要があるかどうかくらい判断できるはず。人付き合いがうまくなるように努力するのも、自分にはとても無理だと諦めるのも、教育のせいだなんて自分の問題なのに別のところに原因を押し付けて満足するのも自由。自己責任。

そう、自己責任だ。俺はもう一度大学入学時に戻っても、友達つくろうなんて思わないだろう。三月くらいから「ちゃんと接しよう」と努力してきたバイトは効果が出てきてるし、これも別にいいや。今の俺は知らない人は大嫌い(人ゴミも、雑多なのが嫌いなんじゃなくて知らない人がいっぱいいるのが嫌い)だけど、孤独の辛さも身にしみてわかってる。そこら辺のバランスはとるから別にいい。つまり、もう学んでる。・・だいぶ時間とか苦しさとか労力とか要ったけど。

ということで、「これが限られた時間であるという認識」「目に見える結果から逃げたこと」の二つを生かす。

限られた時間ですか・・・。部活のように、大切なものにしか適用できないな。今現在限られた時間なのは大学とバイトだけど、適用はできない。別に今なくなってもそれでいい。いやバイトがなくなったら孤独すぎて絶望すると思うけど、でも別に限られたかけがえのない時間、て感じじゃないんだよなあ。小さい枠じゃなくて大きい枠で考えたら今この瞬間もかけがえがないけど、ていうかそもそもそういう大きい枠で考えたかけがえのない時間をどう過ごすかについて今考えてるんじゃなかったっけ。どうだったっけ。

目に見える結果から逃げたこと・・。これはその立ち向かうべき対象が問題だ。目に見える結果が出るものでも、楽しいことや充実してる事ならそもそも逃げないし、嫌な事だったら別に無理する必要もないし。・・でもこれは、今でいうなら就職に当てはまる。勉強というコトも加味すると、公務員試験ガンバレというコトになるがしかし、なんかここまでくると当初の目的とはかなりズレてるような気が。

結局やりたい事がないワタシ。ああでも、でもやっぱし就職かなあ。「とりあえず今のところは」と考えると就職かなあ。食と安全と適度に孤独じゃない職を探しそれに就けるように努力すんのか。マジでか。俺の生きる意味ってそんなんか。

もっと大切なこと、あるように思えるんだけど、実際探してみると無いから困る。結局何のためでもない。何かのために生きたいけど何もない。

いいかもう。何も無いんだからしょうがない。なんか出てきたらその時そのために生きればいいや。なんか、いいんじゃないの、だって何もないって程何もないわけじゃない。今、大学は卒業したいとかそういうのは思ってるし。今はそういうのでもいいんじゃない。だから今日も行ってきます、で。

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