8月15日の日記

2007年8月15日
どうせ何もしないでオナニーばっかしてんのなら、せめて何かを摂取しようというコトで、映画を15本くらい見てCDを10枚くらい聞いて漫画を読んでゲームをしてました。以下それらの感想を書きます。ネタバレあったりするので見る時は気をつけて。



「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」
ドラマの特別編という感じ。

「スウィートノベンバー」
仕事人間ネルソンが不思議な女性サラと出会い、サラがつくった妙な「ルール」に従って愛に目覚めていくけども・・・という話。

最後の最後までルールどおりにする事の意味は?と思った。ルールを壊さなきゃ意味が無いのでは?もちろん、ルールを壊すとただの王道恋愛映画になってしまう。それが嫌だったのだろうか?
サラの煮詰まった状況を打破してこそ何か特別なものになるんじゃないかなあと思う。あそこでネルソンが身を引くなら、なんのための二時間だったのか。死に行くサラのわがままに付き合ってあげました、ってだけじゃないでしょうか。
コンセプトの時点で映画として失敗している気がします。

「トラフィック」
再視聴。アメリカの麻薬問題を正面から捉えた作品。様々な登場人物を通して需要側アメリカ社会と供給側メキシコ社会に巣食う麻薬問題をあぶりだしていく。
多視点から麻薬問題の実態を描きつつそれを作品として成立させているのは素晴らしいと思う。安易な暴力描写ではなく、麻薬とそれに関わるリアルな死が物語に緊張感をもたらしている。どの視点からも、麻薬問題の「どうしようもなさ」「打つ手の無さ」が浮かび上がってくる。
しかし、打つ手ありませんで終るのではなく、最後にはそれぞれが未来に向けてのほんの少しの明りを灯している。特に映画のラストシーン、照明のついた公園で野球をする子供たちをデル・トロが見つめるシーンはハイライト。打つ手の無い現状、それを変えるためにこんな事しかできないという虚しさと、それでもこうやって何かが変わるのではないかという希望とが入り混じった、なんとも言えないグッとくるシーンだ。

「マシニスト」
難しすぎるだろコレ!

冒頭と中盤に出てくる死体を海に投げ捨てるシーン、アレの意味がわからん。少なくとも見てる時は意味がわからん。というか見終わった今でも意味がわからん。なんでアレを冒頭に持ってきた?ぜんぜん関係ないと思うんだけど。とりあえず衝撃的にしたかっただけか?トレバーが罪の潜在意識を捨て去ろうと、忘れ去ろうとしている・・・と「言われれば」あるいは「そう思い込めば」まぁそうか、と納得するけども・・・。なんていうか、冷蔵庫に入れた魚が腐って、釣り好きだったトレバーが全てを思い出す、ていうのもなあああ。車に張ったステッカーと写真だけでは釣り好きのヒントが少なすぎると思う。俺は全然ついていけなかった。
というか、釣り好き→事故で封印→腐った魚で思い出す、、って、別に釣りをシンボルにしなくてもいいような気がする。思い出すなら他にもなんかあっただろう。

なんていうか全体的に、キーワードに「必然性」がないような感じ。冷蔵庫に張ったメモにしろ、トレバーの潜在意識が罪に気づかせようとしている、なんて、言われればわかるし思い込めばそうかと思うけど、実際にソレが答えだ、と言われなきゃわからないと思う。しかも映画の中でその答えが明かされないという。寝る描写の後に妄想世界が入ってるらしいが、それだけで気づけってのは無理では・・。言われなきゃキーワードの重要性がわからない。ドエトフスキーマニアじゃないとわからないキーワードがあったりするし。リアルタイムで見て全て理解できる奴はいないと思われる。サイトを見てみても、一人だけ完全にネタバレを(偉そうに)書いてる人がいたが、リアルタイムで全て理解していたかどうかは怪しいと思うんだけどなあ。
だってさ、分岐点の話とか、エスケープの意識とか、ルート66とか、そんなの全部「必然性」がないように思うんだけど。これ初見で全部完全にキーワードの意味が理解できた奴なんているのか?俺はキーワードの意味なんか全部わからなかった。

最後の大オチだけはさすがに誰でもわかるだろうけど、ただしそれ以外のキーワードの意味は何だったの?ってなる映画だと思う。ていうか俺はそうなった。

とにかく、キーワードの「必然性の無さ」が致命的な作品だと思う。

「コントロール」
後味悪い。
気性を抑える薬を飲まされ順調に変わっていく凶悪犯罪者のリー。犯した罪を後悔し、完全に生まれ変わった彼だったが、飲まされていた薬は実は偽物。彼に対する実験の目的は、ホンモノとの違いを調査するためだった。

ていうことはつまり、どうなろうと最終的には殺されていたということか?犯した罪が巡ってきて、生まれ変わったリーに降ってくる。生まれ変われる事は変われる。でも、生まれ変わったって過去は消せない、償いはしなければならないというコト?この映画はそれを伝えたかったというコトか?だとしたら、なんてくだらない映画だろう。もちろんそりゃ、ハッピーエンドなんか最初から無いのかもしれない。このストーリーが始まった時点で、こういう結末は逃れられないものだったのかもしれないが・・・。でもそれじゃ、あまりに普通すぎると思うけど。あたりまえすぎて、わざわざ映画にする意味がないだろうと思う。

罪とは誰にとっての罪なのか?かつてのリーの罪は、生まれ変わったリーが償わなければならないのだろうか。だとしたら生まれ変わった意味は?確かに映画としてはそこそこ面白かった。しかし、例えば少年法だってそうだし、性犯罪の再犯防止にしてもそうだけど、そういう社会問題的な意義のある作品になりえたが、エンターテイメント方面を意識した後半からラストまでの流れがそれを台無しにしたと言える気がする。何を狙ってこの映画を撮ったのかはわからない(プラシーボ効果の素晴らしさか?改心しようが何だろうが必ず制裁は受けねばならないという因果応報か?だとしたら別に薬なんか飲まなくたっていい。反省して刑務所から出てきた男が被害者に関係のある人間に復讐されるという、ただそれだけの映画を撮れば済む事だ。)が、物語後半は別の道があったのではないかと思う。
まぁ、娯楽サスペンスに意味を求める方が間違ってるか。

「カンパニーマン」
「キューブ」のヴィンチェンゾ・ナタリ監督作品。うーん。
要は主人公の正体が自らを洗脳したルークスで、愛のためにこんな危険なミッションをしました、というだけの映画で、大オチが大した事ない上に作品の全てが大オチのために作られているため、映画としては非常に退屈な仕上がりとなっている。「ソウ」みたいなオチのための映画。
「ソウ」は、「握られた命」という謎と恐怖の両方が混じったストーリーのため、オチまでも、退屈ではあるものの、しかしそれなりに緊迫感があったが、こちらは大して緊迫感も無い企業スパイを(これといった目的や終着点も見えないまま)淡々とこなしていくだけなので、その退屈さ加減は昼夜逆転の俺を夜中の一時半にうたた寝させるほどだ。もっとも、大オチのためには企業スパイを終えたその先にある目的を別に作ってしまうわけにもいかないのかもしれないし、まぁ、こういう題材を選んだ時点で、こういう作品が出来上がるというのは仕方の無い事なのかもしれない。
超ハイテク施設の数々はそれなりに迫力があったが、それもこの映画に限ってはただの飾り物で、別に必要でもなんでもないあたりに取ってつけてみました感が溢れ出ていて、なんというか駄作だなぁという感想。

「10億分の1の男」
しょうもない映画を見てしまった。
ストーリーの追わせ方がド下手糞。よく事情が飲み込めないまま勝手に先へ進んでいく。
「運」による勝負もまるで緊迫感なし。写真がどうの相手の運を吸い取るだのはっきり言ってわけわからん。全てがわけわからん。物語の全てに必然性がない。感想を書くのもバカらしい。とにかく運による勝負も、何故勝負をするのかも、登場人物の関係も、全てに「必然性」や「意味」がない。設定は素晴らしいだけに残念。監督がド下手糞という以外に無い。

「レザボアドッグス」
感想が書きづらいというか・・・。
とでもない名作だと完全に信じ込んで期待して見たはいいが、実際、正直そこまでいいとは思わなかった。ここの所途中で眠くなるような、「一体この物語はどんなラストを迎えるのだろう?」なんて好奇心なんかこれっぽっちも湧かないような作品ばかり見ていて、さすがにそれよりは良かったものの、取り立てて興味深い映画というわけでもなかった。なんというかもっとスゴイのを想像してた。
宝石店強盗に集まったプロの泥棒とその雇い主たち。しかし、強盗の情報は明らかに警察に洩れており、待ち伏せを食らってしまう。誰が警察のイヌなのか?撃たれた仲間が重症で苦しむ中、アジトの倉庫で「イヌ」探しをする強盗たち・・・。
それぞれの経緯を見せながら、徐々に煮詰まっていく物語。時には暴力。みたいな、なんかそんな感じの映画、としか思わなかった。映画の手法が素晴らしい、と言われれば素晴らしいような気もする。確かに斬新な展開の仕方だけど。
しかし、ハードルが高かったせいだろうか、そこまで面白いとは感じなかった。うーん。

「フォーンブース」
鳴っている電話ボックスの受話器を取ったら電話の相手から「電話ボックスから出たら殺す」と脅される、という話。
設定は面白いし、どうしようもなくつまらない映画が意外に多い事を思えば、あるいはそれらと比べれば、物語も飽きることなく追わせてくれるけど。うん、まぁ。
犯人オマエ暇すぎるだろ!!と誰もが突っ込んだに違いない。
娯楽としては十分の出来。

「π」
うーん。難しい。パスでお願いします。

「バタフライ・エフェクト」
面白かったよ!!久々に当たったよ!ネットで評判見たら、ちらほらツマンナイとか、今更タイムスリップものですか(笑)、みたいな意見を目にしたが、俺は是非その人達にπやマシニストや10億分の1の男を見て欲しい。バタフライエフェクトがつまんねーだなんてあんたら贅沢だぜ・・。
面白い映画(緊張感のある映画?)を見ると思わず終盤に声が出てしまう俺。「これすげえ」「おもしれえ」「いやーきたこれ」などなど声が出ましたバタフライエフェクト。

幼い頃に起きた色々な事件の影響を受けて育ってきた主人公エヴァン+その幼馴染3人。そんな中、幼馴染の一人にある出来事が起こる。自分が過去に戻る能力を持つ事に気づいた主人公エヴァンが、その出来事を変えるために、過去に戻り過去を変える・・・。

ちょっとあらすじの説明が下手だけど。
いいよ!面白かったよボクは。使い古されたネタでも、緊張感のある映画のつくりが良かったよ。ただ、たま〜に突然デカイ音出してビビらせるという狡い事やるのが気にいらない。そんなことしなくても十分緊張感ある物語になってるのに。

確かに、矛盾点というか、強引に話を進めてる感はある。記憶喪失のところにルーラで何度も行ける的な。「記憶喪失したからルーラで行けるのか、未来からルーラしたから記憶喪失なのか」とか、実はごちゃまぜになっていて、そういう設定の「論理の整合性」はぶっちぎってる感があるものの、所詮それは物語のサイドの部分であって、本筋にはあんま関係ない感じ?というか、それを気にさせない物語の展開のうまさの勝ちでいいんじゃないでしょうか。少なくとも俺はあんまり気にならなかったよ。ネット見てもまぁ矛盾点はあるけどいいんじゃないみたいな意見が多い。

ディレクターズカット版(セルDVD)には当初予定されていた「真のエンディング」があるらしい。その内容をネットで見てみたが、まぁこれは、ねえ。

つまり、「真のエンディング」を選ぶと「哲学的には成功するが映画として失敗」する。
「劇場版エンディング」を選ぶと「映画として成功するが哲学的には失敗する」みたいな問題なんだろうと思う。確かに、哲学的に完成させるためにはエヴァンは最後償うべきだ。しかしこれはあくまで映画。劇場版エンディングで問題ないと俺は思う。劇場版エンディングもねえ、深く考えてみると「さんざやっといてそれだけ?」的なコトは確かにあるよ。でもそんな深く考えさせないほど、なんていう作品全体かいい。最後のあのホームビデオの中に戻って言うセリフ。あれいいよ。なんていうか映画としてうまいよ。それにまあ、劇場版エンドでも十分切ないし。

あと子役が四人とも超自然。まるで違和感が無い。これもこの映画の質の高さについての重要なポイントだと思う。

キューブとesは激しく人に勧めた。これは激しく勧めるほどではないものの、でも見て損はない。娯楽として質が高い。イヤホント面白かったコレ。素晴らしい。

「12人の怒れる男」
面白かった。なんていうか単純に面白かった。ちょっとだけ後半声出た。
12人の陪審員たちそれぞれのパーソナリティが議論の場で強く現れていたのが興味深いです。12人も登場人物おぼえらんねーよ!と最初思っていたが、まるで杞憂だった個性的な12人の怒れるオッサンたち。

なんか深く考えずに、陪審員たちの物語!ていう感じで見る映画だと思う。だから感想としては、面白い映画でした、という事です。

「ミリオンダラー・ベイビー」
ええ〜っ。
・・・・・。
・・・いややっぱり、ええ〜っ・・・。

という感想。

三十路を超えた素人同然の女ボクサーと、腕は優秀だが慎重すぎてまぁ色々アレな老トレーナーの物語・・・。
ボクシングは「はじめの一歩」のみの知識なのでアレだが、それにしても特筆すべきことのないボクシング映画で、なんでこれがアカデミー賞?とか思ってたらボクシングはまさかの前フリでした。

尊厳死という非常に微妙な問題を扱った作品。「バタフライ・エフェクト」でも何度目かの過去でミリオンダラーベイビーの後半みたいな事になって、過去を変えに行くわけだけども、俺はその時思った。「これ障害者を否定してないか?」と。バタフライエフェクトの方はそれは「過程」で、しかもそのシーンがラストで重要になってくるのでまぁ流せるっちゃあ流せるか・・イヤ流せないよなあ。

ミリオンダラーベイビーについてはそれがラスト。結末だ。おそらくカトリック教会とかから抗議を受けたと思う。そしてはっきり言って、バタフライエフェクトに関してもミリオンダラーベイビーに関しても、抗議を受けて当然だろうと思う。

こういう問題を映画で描くというのは、非常に難しい。社会的にデリケートとか言うんじゃなく、哲学的に無理だ。おそらく映画の力なんてそんなものなんだろう。あくまで映画であって、どんなノンフィクションだってデフォルメされる。人間をそのまま映す鏡にはなれないし、仮に鏡になれたとしても、ただそれだけの事。答えを出す事まではきっとできない。

俺にしても、尊厳死について語る資格はない。俺自身、モーガン・フリーマンの言う「死んだ毎日」を送ってきたり送ってこなかったり。その中で、生きる甲斐なんてないような孤独もあった。今でこそ死にたいなんて思わないが、それでも人生が喜びに溢れてるなんて事はちっとも思わないし、相変わらず自分はどうしようもないままだし、あの頃のように孤独になれば、今だって俺は生きる甲斐なんてないと思うだろう。

俺が悩み続けてる事と一緒みたいなもんだ。俺はそれに答えを出せないから、この映画について何も言う資格はないし、そもそも言う気も起こらない。
なぜか。思考停止です。逃げてるだけです。でも、俺だけじゃない。誰が答えを出せる?


「カッコーの巣の上で」

これは・・・・・。凄い映画だった。イヤぁぁぁ凄まじい映画だった。

強制労働だかなんだか、とにかく労働から逃れるために詐病を用いて精神病棟に検査入院したマクマーフィ。「治療」ではなく「統制」を目的とした婦長の徹底的な管理体制。マクマーフィは患者たちと素直に向き合い、抑圧的な婦長に反発する。そしてマクマーフィを中心に、患者たちは人間らしく生きる事に目覚めていく。


ホントに凄まじい。当時の(あるいは今も)精神医学、そして俺たちみたいな「自分で自分を常識人だと思ってるヤツ」を強烈に皮肉った映画だ。
婦長、マクマーフィ、そして患者たち。一体誰の精神が病んでいるのかわからなくなる。

本当に凄まじくて、俺の器に余る。誰かこの映画を見てくれ。そして君の答えを聞かせてくれと、思わず他人にゆだねたくなる。勧めるのではなく、ゆだねたくなる。

以下感想になってない感想を書く。ネタバレになるから、この映画を見る人は以下の文章は見ないで下さい。あと、この映画を見るなら、ウィキペディアかなんかで、ロボトミーに関しての知識を軽く摂取してから見るのをお勧めします。





患者の事より、統制、管理を重視する婦長。破天荒ながら素直で純粋な振る舞いで次から次へと「問題」を起こすマクマーフィ。それに感化され、心からの笑顔を見せるようになっていく患者たち。

マクマーフィの起こす「問題」は、世間から見た時の話だ。患者たちにとってマクマーフィが巻き起こしたことは、「楽しい事」だ。無断で皆を連れ出して船釣りに行く。マクマーフィも患者たちもキャンディも、皆はしゃぎまわって楽しそう。船が海岸に戻ってきた時、レスキューやらなんやらが物々しい雰囲気で彼らを出迎えた。病院を無断で抜け出し皆で釣りをする「楽しい今日」も、世間一般の人に言わせると「危険な問題行動」でしかないのだ。

誰とも話さず反応せず、聾唖だと思い込まれていた患者「チーフ」も、マクマーフィの自由奔放で体当たり的な接し方に心を開く。

さらに、ミーティングのシーン。婦長が取り上げたタバコを返せとチェズウィック(だったっけ?)が騒ぎ喚いている最中、ズボンに引っかかった火のついたタバコに気づかず、ゲイリー(だったっけ?)が「熱くて」突如叫びだした。しかしそれを見た婦長や係員は、身動きが取れないように彼を押さえつけ別室に運び込もうとする。ヤケドして叫ぶ彼を、精神に何の障害も持たない彼らは、「イカれた患者が暴れだした」と決め付けて見た。

閉じこもろうとする患者たち。それが「相応しい」とする婦長たち。それらに反発し自由に生きることを謳歌するマクマーフィ。彼らが織り成す物語は、衝撃的な最後を展開する。

人によって見方が分かれる映画だと思う。「統制と自由」「正常と異常」「生きている毎日と生きながら死んでいる毎日」。この映画を見て、こうだ!と答えを出せる人はいないんじゃないだろうか。俺も、考えるのはキツすぎるので、「カッコーの巣の上で」を見て、言葉にできない思いを感じた事を、記憶にとどめておくだけにする。

そこまで大げさに「スペシャル」というわけではない。強烈に俺の脳髄に食い込んだかといえばそういう程でもない。けれど、それでも、誰かにゆだねたくなる映画なのは間違いない。



「ダンサー・イン・ザ・ダーク」
長らく向き合ってこなかったこの映画に関して、これを機にとりあえず書き残しておこうと思う。

高校のとき、映画のCMで流れた「アイヴシーンイットオール」の感想のビョークのシャウトを聞いて惚れ、家族で小学校のときにジュラシックパークを見に行った時ぶりに映画館へ足を運んだ。

まさに賛否両論分かれる映画。もちろん、「なんてことない映画でした」という感想の人もいるが、それにしても賛否の分かれ方が激しい映画である事は間違いない。

個人的に、否定派は映画を見て意見を言っていて、賛成派は主人公セルマを見て意見を言っているんじゃないかな、と思う。別にどっちの立場が正しいとかはもちろんない。

映画を見た人は、胸糞悪い映画だと思う作りになっている。
セルマを見た人は、彼女の恐怖、願い、幸福、そして最後の最後に、それまでの妄想としてのミュージカルではなく、現実に歌となった彼女の叫びに、「ただ不幸だから涙を流す」のではなく、心の底の何かを揺さぶられて涙を流したのだろうと思うというか俺はそうでした。

やはりなんと言ってもビョークの演技が凄すぎる。映画を見てビョークのCDを腐るほど聞いた。しかし今ではもう全く聞かなくなってしまった。特に好きってわけでもなくなった。

つまり贔屓で言ってるんじゃなく、ホントに凄い演技なのだ。

監督のラース・フォン・トリアーは他にもいくつかド不幸な映画を撮ってるらしい。彼がどういう意図でこの映画を撮ったのかは知らない。ひょっとしてとにかくド不幸にしてお涙頂戴って感じで撮ったのかもしれないし、別の意図があったのかもしれない。しかし結果として、ダンサー・イン・ザ・ダークの構成は素晴らしいものだ。

映画を見ていて、例えば「トラフィック」のラストシーンとか、ああいうシーンを撮れるっていうのは、なんていうか監督の才能だなあと思う。

そしてダンサー・イン・ザー・ダークのラストの流れも、やはり才能だなあと思う。他の人には出来ない。感覚でしかないが、「これは・・・」という思いになる、なんていうかスペシャルだ。

「リロ&スティッチ」
意外に面白かった。ディズニーに限らずよく出来たアニメってキャラクターの動きのテンポに魅力があるような気がする。スティッチがかわいい。

「クラッシュ」
人種のサラダボウルアメリカの問題を描いた映画。受容と非受容が俺の日常の問題だった事もあって、アメリカは一見何の問題も無いような顔してるけど、一皮めくってみれば人種差別に関する問題は根深いんだろうな、と思っていた俺。クラッシュはまさにそんなアメリカ社会に根ざした問題についての映画。
様々な登場人物の人生を通して、そこにある問題と一筋の光明を見せるというのは「トラフィック」と共通した手法だと思う。
勝手な被害妄想で他人からの被差別を過剰に意識し、それによってさらに堕ちていくという点では、映画の中ではコーンロウのカッコイイ黒人と俺は似てるかも。ただ彼より俺のほうが妄想深いことは間違いない。つまり何が言いたいかというと、俺のほうがマヌケで甘ちゃんだって事です。
映画としては、ひょっとして俺の理解力が無いだけの話かもしれないけど、全体的に「人種差別問題の誰が正しいのかわからなくなる感じ」を描いていると感じました・・・かな?「トラフィック」が明確に麻薬門題のどうしようもなさを訴えているのとは違い、「クラッシュ」は例えばベテラン警官と若い警官が差別と平等をそれぞれ対照的に彷徨うように、一概にある人間を善だとか悪だとか決める事はできない、というところが印象に残った。
ただ、自分の勇気の無さからくる被害妄想でしか差別環境に置かれた事もないような俺には、何かを語る資格もないし、この映画を見て語る言葉も出てこない。

「saw2」
前作はオチのための映画、という感じがして、オチまでが少々退屈に感じた。シチュエーションは緊迫しているはずなのだが、なぜか見ているこっちはそれほど緊張せず。
今作はオチまでも楽しめた。緊張感があった。期待のオチも面白かったです。

一万字超えたので以下秘密日記へ。

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